ルビスコくんの日記

とある博士学生の日記です。

タフであるとは

村上春樹の小説を読んでいると、「タフ」という言葉を目にすることが多い。タフであるというのはどのような状態をいうのだろうか。タフさというのは、攻撃としての強さ、つまり相手を打ち負かしてしまえる強さという意味は含まれていない。攻撃を受けても負けないという意味で、防御としてのの強さのことをいう。ボクシングでいうと、何度パンチをもらっても立ち上がることのできる選手はタフであると言っていい。

 精神的なタフさについても、同じことが言える。僕が思う精神的なタフさとは、理不尽に対する打たれ強さである。人生は理不尽でしかない。いじめやパワハラ、親しい者の死、病い、戦争。時代や生まれた境遇によって左右されることも多い。そもそも望んでもいないのに、親の選択もできないでこの世に産み出されたこと自体が理不尽である。そして人生の最期には、(ほとんどの場合)苦痛をともなって独りで死んでいくのだ。もちろん人生はそんな悲しいことばかりではない。気心の知れた友人と笑いあえうのも、恋人を前に胸を踊らせるのも、家族とのんびりするのも、なにか新しい発見をするのもすべて幸せな瞬間だ。生きていれば、そんな幸せを感じられるときが必ずあるはずだ。だがそれとは無関係に、理不尽な出来事は必ず誰の人生にも降り掛かる。

 そのような自分を脅かす理不尽に対してどのような態度を取るか。これは問題によって使い分けられるべきだ。いじめや嫌がらせなどは逃げられるならそうするのが最善手だと思うし、真面目に向き合いすぎても完全に打ち負かされてしまったら元も子もない。戦争体験は人を(無理矢理に)タフにすると僕は想像するが、それは立ち直れた場合であって、凄惨な体験によってその後の人生になんの楽しみも見いだせなくなった人だってたくさんいるのだ。ただ、戦争のような特殊な事例は別にして、どんな問題からも逃げてばかりではタフさは身につかない。少しずつでいいから、逃げたりウジウジ考えたりするのをやめて理不尽を受け入れて現実と向き合っていければ、いつかタフさが身につくのだと思う。究極的には、この世で一番理不尽な自分の死を受け入れられればそれに勝るタフさはないのだけれど、まあそこまでならなくてもなあ。