ルビスコくんの日記

博士学生の日記です。考えたこと、学んだことを書きます。

ありのままのワタシ

親子の関係は、親が子を正常に愛してさえいれば、そこまで複雑な問題ではない。そのような関係では、親が子供のことを「自分の子供である」というそれだけの理由で愛してくれる。つまり子が何かを相手(親)に与えることをしなくてもいいのだ。

 しかし、友人関係は違う。何も条件のないように見える友人関係でも、その中にはちゃんと価値のやりとりがある。ここでいう「価値」とは、笑いであり、有用な情報であり、癒やしであり、承認である。例えば、人の悪口と自慢話しかしない人からは、人は逃げていくはずだ。それは、多くの人にとってその人と付き合ってもメリットが無いばかりかデメリットだらけだからである。一方で、黙っていてばかりでも面白くない。ずっと黙ってしかも相手の話を聞いていないときたら、誰だって友達になってはくれないだろう。

 幼い頃から両親や親戚から無条件で承認されて育つと、この「価値の交換」にちょっとした違和感を覚えてしまう。そして中学・高校生くらいになると部活など様々なコミュニティに属することになり、その「コミュニティの一員」としての自分を通して友人関係を築くことになる。さらに就職すると、職場では「仕事をする人間」としてさらに厚いフィルターがかかる。会社の同僚があなたに会ってくれるのはあなたが会社にいて仕事をするからであり、親のように最初からあなた自身を思ってくれる人なんていないのだ。

 これは僕が子どものころから薄々感じていたことだ。「この人達は、僕がこの学校の生徒だとか、ここの部員だから僕と話をしてくれているのであって、僕自身をそのまま受け入れてくれてるわけじゃない!一人の人間として大切にしてほしい!」とか僕は思ってました。中二くさいですねー。これはかなり自己中心的な考えだ。ほとんどの人との出会いは学校などの組織のなかで生じるのだから、「組織の一員としてではなく、ありのままの自分を認めておくれ」なんて無理な話だ。それに、自分のことを認めてほしいならまず相手のことを認めようとするべきだ。