ルビスコくんの日記

博士学生の日記です。考えたこと、学んだことを書きます。

祖父

今日、祖父に半年ぶりに会った。僕の祖父は今年で90歳で、もうかなり元気がなく弱っている。ずっと、閉め切った暗い部屋でテレビをつけて布団の中で寝ていて、することといえばたまにトイレに行ったりテーブルの上にあるお菓子をつまむくらいだ。最近では出されたご飯もろくに食べないらしい。トイレまで尿意を我慢することができないためおむつをしているのだが、おむつを自分で替えないうえに他人に替えてもらうのも断固として拒否するため、許容量を越えて布団に漏れてしまっている。そのため、部屋はかなり臭った。ほとんど掃除されてない公衆便所のような臭いだ。
 そんなある種特殊な空間である祖父の寝室に入って、僕は布団のなかに横たわっている、やせ細ってものも満足に言えない・聞けない祖父を見た。ほとんど肉のない痩けた頬を震わせて、僕の顔を見て口をパクパクさせているが、ところどころしか聞き取れなかった。何度も聞き返す。そして僕は、この一年で別人のようになってしまった祖父の姿に、生の本来の形を見たような感覚になった。「そう、生とは本来、このように臭く汚いものなのだ。僕らは教育を受け、文明の力を使ってそういう醜い部分を見えないところに追いやっているのだ」と。しかし、よく考えると、この時点で僕は祖父を「生きている存在(なにか)」としか見ていなかったように思う。ほとんど意思の疎通ができない祖父に対し、これまでの祖父と同じように接することができなかったのだ。祖父の人格が、取りさらわれてしまって、目の前にいるのはこの数年間でだんだんと祖父ではなくなってきた何かであるような感覚だった。
 悲しい気持ちになりながら、祖父に敬老の日のプレゼントを渡した。元気だったときからずっと好きだった洋菓子だ。そのお菓子のことを祖父はちゃんと覚えていたようで、しわしわの手でお菓子を確かめながら、「これ案外おいしいんやで。自分らも食べや。」と、途切れながら、聞き返されながら、何度も勧めてくれた。ああ、こんなになってもおじいちゃんはおじいちゃんなんだ。祖父は元気なときからサービス精神が旺盛で、人をもてなして喜ばせることを何より大事にしていた。頑固で医者嫌いで、絶対に病院には行かないせいでこんな状態になったところもかなりあるため、家族は手を焼いていたのだが、ちゃんと僕たちの好きな祖父もいたんだ、と思えた。
 我々が帰ろうとしていると、祖父は手をゆっくりと差し出してくれた。僕らが幼い頃からずっと、別れるときに交わしてきた握手の挨拶だ。「ありがとうな」。もしかしたら、本当にこれが祖父との最後になるかもしれない。そう思いながら僕は、しわだらけで弱々しく、ちょっと冷たい、でも確かな祖父の手を握って「うん、ありがとう」と言った。祖父は、確かにそこにいたのだ。