ルビスコくん空を飛ぶ

博士学生(D1)の日記です.日記に加えてプログラミング(R)のメモ書きもします.

博士論文ってどう書けばいいの?

今日は投稿論文との違いに注目して、博士論文(以下、「博論」と略)をどういう風に何を書けば良いか考えてみる。

僕は修士2年のとき、もちろん修論を書いていたのだが、どうせ修論はあとで投稿論文にするのだから、とにかくそれに近い形に修論も仕上げた方が効率が良いだろうと考え、特にイントロについてはなるべく投稿論文を想定して最小限の論理展開で書いた。それをみた当時同じ研究室にいたポスドクの方から、「卒論・修論・博論は投稿論文とは違うものなのだから、誰が読んでも理解できるように書くべきだ」という指摘をもらったのだが、そうは言っても提出を数日後に控えていたので書き直すのはちょっと無理があるなあと思ってスルーしてしまった。今となっては、彼のいったことはすごく納得できるし、だから僕の博論では必ずそれにしたがって書こうとと思う。

さて、ではなぜ「誰が読んでも理解できるように書くべき」なのだろうか。

・投稿論文と博論では何が違うか

第一に、両者の読者層の違いが挙げられる。投稿論文が掲載される科学雑誌というのは、NSC(Nature, Cell, Science)などを除いてほとんどが細分化された分野を扱う専門誌である。つまり、特定の分野によって雑誌が分かれているのだ(扱う分野の規模は雑誌によって様々)。そのため、当たり前だが森林生態学の雑誌の読者は森林生態学に興味があり、読者はある程度周辺知識を共有した状態で読んでくれることが多い。その上、投稿先の雑誌は必ずどういう分野の論文を扱うかについて雑誌のコンセプトを掲げており、論文の著者はそれに従う必要がある。さらに、雑誌がOpen Access(誰でもオンラインでダウロードできる雑誌形態のこと)でない限り、読者はその記事を購入しなければ読めない。要するに、読者はその雑誌を購読している研究教育機関の中でもその特定の分野に興味がある人、というように大きく限られてしまうのである。

一方で、学位論文(博論)というのはそれ自体雑誌に投稿するものではない。では、審査員の先生たちが読み、それ以降は研究室に保管されたまーに後輩が参照するだけの代物なのだろうか。それは間違いで、2013年以降の博論は学位を授与した大学等を通じてインターネットで公表されるのである(こちら参照)。ということは、パソコンさえあれば誰でも閲覧可能ということになる。

読者層に加えて、ページ数の制限がある。投稿論文では掲載の関係上ページ数や載せる図の数に制限があるが、博論にはそれがない。

・じゃあどう書くか

このように投稿論文と博士論文では想定している読者が異なる。しかし、インターネットで公開されるからと言って文字通り誰でも読めるように書くのは無理というもので、著者は自分の中で 読者を想定する必要がある。そして僕は、想定する読者は「大学院生や技術職員を含む全ての研究者」に設定するべきだと思う。なぜなら博士号というのは世界で通用する称号であり、当人の研究能力を最低限保証するものであるからだ。したがって必ず英語で書くべきだし、分野問わず最低限の科学的素養を身につけたもの(つまり一般に大学院生以上)ならば原理的に理解し再現できるように書かなければならない。この原理的な理解について言えば、これは他分野の研究者でも理解できるように文章のレベルを落としたりすることを意味しているわけではない。可能な限り人類にとって根本的な問いから出発して論を展開していくことをいっている。これがGeneral Introductionに当たる。で、もう一つ、再現性について言えば、研究で用いた手法や背景にあるモデルあるいは概念についてできるだけ詳しく述べるようにした方がいい。これは研究手法を充実させるとともに、Appendixも満載にするということ。こうすることで、その論文を読み込めば原理的に理解し、原理的に再現できるようになると思う。

要するに、僕の理想の博論とは、投稿論文の内容に加えて、できるだけ人類誰もが納得できる問いから始め、その研究の背景にある理論そして用いた手法について、一般的な大学院生の知識レベルから始めてできるだけ詳しく記述・解説したものになる。と、いうことは…通常のサイズの博論に加えて大量の注釈とAppendixがついていることになるね笑。