ルビスコくん空を飛ぶ

博士学生(D1)の日記です.日記に加えてプログラミング(R)のメモ書きもします.

ルビスコくん空を飛べ!

僕は、このブログで何をしたいんだろう。

そもそも、このブログを始めるきっかけは、かなーり記憶が曖昧だが(笑)、おそらく当時(2015年12月なので、修士1年の冬)よくツイッターでよく文章を書くことについて呟いている結城浩さんのツイートを読んだことだった…ように思う。彼の書く文章はやわらかくて、優しい一方で同時に痒いところまで手が届くような正確さも持っている。彼のようにうまい文章を書きたいまではいかなくても(彼は作家つまり「プロ」である)、自分ももう少し文章が上手くかけたら…。そう感じたのだと思う。その証拠に、このブログの最初の記事には、「私は言葉を扱うのが苦手です。なので,それを少しでも克服するためブログを書いてみることにしました」と書いてある。あれから1年半経った。今はどうだろう。正直文章を書くことに対する苦手意識は今でもまだまだある。過去の自分が書いた文章がをみて、ひどいなこれは消してやろうかと思うことも何回もあるし、残念ながら消してしまったものもある。そんなことしなくていいのに。

じゃあ、当時の僕が目指していた「うまい文章」ってイッタイ何だったんだろう?それは豊富な語彙と論理的な展開を含んだ文章だったんじゃないか。確かに多くのかっこいい単語に支えられ理路整然としている文章はかっこいい。でも今になって考えてみると、

それって目指すものじゃなくない?

って思ってしまうのだ。そんなかっこいい文章っていうのは目標にするものじゃない。だって、この前僕が読んだ、おエライある(文系の)教授が書いた文章は、語彙が豊富で論理もまあ通っていた。でもそれは決定的に面白くないしむしろ不愉快だった。結局は俺がエライ!って言いたいだけだったんだ(それでも、論理としては間違ってはなかった)。ということは、そんな表面的な「うまい文章」を目指しても、上手く行く場合もあればこの例のようにいい歳したおじさんになっても(いや、もしかしてなったからか?)下らないものを生み出す人にしかなれない場合もあるということだ。上手くいく確率でいうと五分五分よりももっと低いだろう。だから、貴重な時間を使って、そんな危険な賭けはできないのである。

そうだとすれば、文章を書くことということについてもっと本質的なことって何だろ?それは「自分の頭で思索し続けること」だ。とにかく深く考えること。考えて書いて伝える。あるいは、書いて考えて伝える。章の上手い下手は関係ない。だって、それは考えたことを表現した後からついてくることだからだ。書くために書いてはいけない。野球選手はバットを振るために毎日素振りしているのではなく、試合で打って結果を残すために来る日も来る日もバットを振っているのだ。

たぶん、書いているうちに論理が稚拙なものを書いてしまったり、間違いに気づかなかったり、そもそも書くことが尽きてしまうこともあるだろう。でも別にそれで誰かが損をするわけでもないしいいじゃないか。読者に「つまらんし酷いな」と思われても、僕にとってはどこの誰がそう思ったなんてわからないし。逆に、「ひどいぞ」って直接メールとかコメントもらったりなんかしたら、それはかえってありがたいことだよね。そんだけの時間と労力とを僕に向けてくれているということなのだから(メールについては特にそう)。とにかく文章は稚拙でもいいし、誰にどう思われたっていい(ただ人の悪口とかは絶対に書いちゃいけない)。自分で思索を巡らせて書いて、そしてそれを継続することが肝心なのだと、僕が今ぱっと思いつくだけで5人もの方がおっしゃっているので、その言葉を信じて出来る限り多く書いていこうと思ったのです。

これが、僕がこのブログでやりたいと思ったことでした。最後まで読んでくれてありがとう。