ルビスコくん空を飛ぶ

博士学生(D1)の日記です.

ありあまる富

本物の富は、あなたが持っているものでも、他人からの評価でもなく、あなたの心の中にある。

それは他人からはみえないし触れることもできない。ましてや盗むこともなおさらできない。心の貧しい人々は、自らの空っぽな心を物質あるいは名声という空虚なもので埋め合わせようとするが、彼らはいくらその方向で頑張ったところで埋め合わせはできないので、本当の心の充足を知る人々に嫉妬し、蹴落とし、彼らからいろんなものを奪ってしまう。でもそんなことをしても、心は満たされず貧しくなる一方だし、その人々から本当の宝を奪うことはできない。その宝は人間の心から生まれるので、心を奪わない限り盗めない、つまり原理的に盗むこことはできないのだ。極端な話、その人々はたとえ牢屋に閉じ込められて身体の自由を奪われたとしても、思索を止めることはないししたがって幸福であることをやめない。だが不自由それ自体は不幸なことである。もちろんこれは極端な話だが、こんな不幸が世界では大小あれど起こり続けている。

心の貧しい人は、人々の心から幸せをなくせはしまいかと、言葉で他人の心を傷つける。優しい心の持ち主は彼らの言葉にときに傷ついてしまうこともあるだろう。だが、その賢明さでいずれ彼らの言葉に嘘や虚勢が含まれていることに気づく。そして傷ついた分だけ、痛みを知った分だけ他人に優しくなって、ますます彼/彼女の心は本物の富で満たされていくのである。

心の中にあるそれこそが真の幸福である。それは誰からも不可侵である。ただ、その性質ゆえに直接共有もできず、言葉によってしか他人に伝えることができないという意味で孤独でもあるのだが。

人に伝えるということ

昨日、含蓄のある言葉を聞いたのでそれを忘れないようにメモするのと、それに少し自分の考えを付け加えてみる.

人に自分の考えを伝えることの意義というのは「価値観を共有して、幸せの感度を上げること」である.つまり,自分が普段の生活の中で「どうすれば楽しくなるか,どう考えれば心が(人生が)豊かになる・楽になるか」ということをお互いに共有できれば,共有できた人はそのぶん楽しいことを見つけやすくなるしより豊かになりやすくなる,ということ.他人のふとした言葉が,言語化できていなかった今の自分の状態にすごくしっくりきて楽になった,という経験は多くの人が持っていると思う.例えば僕は,学部生の時は「どうせ僕なんて大したことできるわけないし,これからみんなと同じようにテキトーなとこに就職して一生を終えるんだろな」と人生についてぼんやりとまあこんなもんだろと思っていたところがあったのだけど,当時の指導教官に言われた「何いってんの,できないからやるんでしょ?」という言葉がきっかけで研究をやってみる気になって,生活にハリがでてきた.まあ現実の変化はもっと連続的で,その言葉をきっかけとして少しずつ少しずつ日々の態度と行動が変わっていったのだけど.こんな風に,言われてみれば確かに「価値観を共有して、幸せの感度を上げる」で多くのことを説明できる.

もう少し説明すると,ここでいう共有とは,単なる言葉のレベルの共有ではなく,感覚のレベルでの共有である.言葉を受け取ると同時に感覚として認知できる場合もあるが,そうでない場合は,①そもそも共有する価値がない,②それをよく考え実践した末に身につけることができる,③実践してもできない,のいずれかである.まず①では自分の判断が求められる.言葉を発した人間に共有という感覚がなく単に自分の主義主張を押し付けてきた場合などがこれにあたる.そんな気配を感じたらその言葉は無視していい.一方で,自分のことを思っていってくれているということが感じられたら,たとえ相手が嫌いなやつでも少なくとも一回は実践してみるべきだろう.言葉から受ける印象と実際の感覚とはかけ離れていることが多いから,なるほどねと思っても実際にやってみると思ってた感覚とは違った なんてことはざらにあるのだから.

本当に大切なこと

僕はこれまで,研究をするうえで「自分に何ができるか」を重視してきた.プログラミングや測定機器の扱い方や論文の書き方など,研究の遂行に必要なテクニックをひとつひとつ獲得していけば,いい研究者になれると考えていた.しかしそれらは「自分で考える力」という土台があって初めて有効に活用されるのであって,テクニックばかり身につけても僕が目指す本当の高みには絶対に到達できない.そのことに気づかせてくれたのは僕の周りにいる人ではなく,ネットで知ったある研究者だ.

もちろんそれらのテクニックはなしでは研究はやっていけない.それはそれで必要なものだし,それがあって初めて考えるための材料,つまりデータがとれるのだから.ただ,僕は今までデータを見てじっくり考える量が少なかったように思う.生データを取って,それを加工したり可視化したりモデルで他の変数を計算したりすることまでは一生懸命やるのだが,そこまででけっこうな時間をつかってしまいそれでやった気になってしまっていた(その意味では,データの加工にそこまで時間の掛からない実験系の人たちのほうがしっかり対象について考察しているのかもしれない).

ラスコー展

昨日,仙台市にある東北歴史博物館の「ラスコー展」に行ってきた.知っている人も多いかもしれないが,ラスコーの洞窟壁画は1万5000年前に我々同じホモ・サピエンスクロマニョン人と呼ばれる人々が洞窟の壁に描いた動物や記号,ヒトなどの絵画群のこと.

彼らは明らかに絵を描くためだけに洞窟に入っていった.もちろん洞窟の中は光など一切ないし,絵を描くためにランプに獣脂を灯さなければならない.絵の具もつくらなければならない.どうして彼らはそんな面倒なことをしてまで絵を描いたのだろう?という疑問が,展示を見ていて自然と湧いてきた.そしてその疑問は,「どうして我々は絵を描くのだろう?」という問いとほぼ同義である.

館内の展示で興味深かったのが,「人類(新人)はアフリカで生まれ,ユーラシア大陸に渡って世界に分布するようになったが,ヨーロッパに分布したクロマニョン人だけが絵を描いたのではなく,多くの地域で独自に絵が描かれたことから絵を描くという行為は人類にとって普遍的なものなのかもしれない」という考察(ちょっと引用が不正確かもしれませんがご勘弁ください).現代では,絵を描くことつまり芸術は,芸術家を除いてあくまで趣味や娯楽の範疇に収まっているが,そんな芸術家でない僕達にも,芸術家たちと同様に芸術という行為は宿命的に刻み込まれているのだ.そう考えると,すこし近寄りがたいオカタイ芸術はもっともっと身近になるはずだ.

部活の経験は研究にいきる?

この前,ある教授が「僕の経験上,部活してたやつは本当に研究よくできる場合が多いんだよ」ということを話していたので,少し部活と研究について考えてみようと思う.確かに,その教授の言うとおり,学部時代に部活に打ち込んでいた人はよく出来る人が多い気がする.僕の指導教官は学部どころか大学院のときもスポーツに少なからぬ時間を割いてしかも全国大会に出たレベルだと聞いた。そこまでのレベルじゃなくても、学部のときに部活/サークルめちゃくちゃ頑張ったってひとは多い。もし部活の経験が研究にいきるとしたら以下のようになるのではないか。

● 目的意識が染み付く

部活というのは、何かのわかりやすい目標(例えばスポーツ含む競技だと「試合に勝つ」、芸術系だと「定期演奏会、展示を成功させる」など)に向かって努力していく活動である。すると、その目標を達成するために何が足りなくて、それを克服するためにはこれから何をどのような方法でどういう計画を立てるべきか、ということを、学生が主体になって考えることになる(ちなみにこれは大学の部活で顕著だと思う。高校でももちろんそういう側面はないことはないが、だいたいが顧問の先生の言いなりになっている)。卒論修論博論は明確な時間制限があるし、博士号を取ったあとでも近年は短期的にアウトプットを求められるので、こういう習慣が卒研を始める時点で持っていられると強い。

● 集中力と体力がつく

よく高3の夏の大会までずっと部活やってたやつが引退して本気で受験勉強し始めたら直前でめちゃめちゃ成績伸びるじゃないですか。あれです。スポーツをすることで集中力とそれを持続させるための体力がつくというのはみなさん納得していると思う。iPS細胞で有名な山中伸弥氏も大学まではラグビーをしていて、大学院時代は相当なハードワーカーだったらしい。やはり体力は大事。

● 何かに夢中になれる癖がつく

これは研究だけじゃなくて人生でとても大事なことだと思う。とにかく試合なり演奏なりで結果を残したい一心で何かに取り組んで、それを楽しむというのが癖になると、その対象が研究になれば楽しく研究が進むんじゃないかな。まあ、「対象になれば」ですが。

ここまで書いて思ったけど、これって研究だけじゃなくて研究以外の仕事や人生全般にとってすごく有益じゃないか。ただし、特に一つ目の項目に言えるのは、どれだけ頭を使ったかで部活から得られるものが断然異なるということ。私みたいに、サークルに入って週に3回も活動をしていても何となーく練習してみんなと仲良くなってハッピーみたいな取り組み方だと目的意識は身につかない(身につかなかった)。みんなをまとめ上げるキャプテン・部長だとか、何かの実行委員でサークル内での仕事をこなすなどの任務が人を成長させるのだと思うし、そうじゃなくても自分の技術の向上に頭脳を働かせて取り組む過程がその後でも使える思考力を鍛えるのだと思う。

 

 

僕のおじいさん先生に会いました

この前,研究室に一人の初老のおじさんが訪問してきた.誰かなあと思ってとりあえずあいさつしたところ,指導教官から「私の師匠のT先生です」と紹介され,驚いた.光合成科学の業界では有名人だ.そして,僕の指導教官の師匠だから,僕はその先生の孫弟子の一人というわけだ.そしてT先生と研究室でお酒を飲むことにした.

すると,T先生は「名前はなんていうんですか?」と聞かれたので僕の名前を答えたところ,「○○君ね,ちょっとメモしておこう.忘れっぽいんでねえ.」といってスケジュール帳を取り出して僕の名前を書いてくれた.孫弟子とはいえ,こんなしょうもないいち学生の名前をわざわざ覚えようとしてくれるなんて,「この人は人との出会いを本当に大切にする人なんだなあ」と思って,T先生の人徳が出会って数分で垣間見られて,少し感動すら覚えてしまった.「僕はねえ,もう研究以外の仕事は断ってねえ,自分で一人で実験してるんですよ.この年になって○○を初めて習いましたよ.」と本当に目を輝かせて楽しそうに話しているのを見て「こういう人になりたい!」と思わせてくれたのでした.

知識の整理

この二年間、自分で試行錯誤しながらいろいろな知識を、観測・実験・論文・教科書・研究者や技術者のHPから学んできた.特に光合成クロロフィル蛍光については一生懸命勉強した。そこで、これまで身につけてきたことを自分の言葉で、外に形として出してみたいと最近考えるようになった。僕の次の指導教官は自分のHPに光合成に関する知識をすごくきれいにまとめていて、僕もそれを読んで勉強したこともあるし光合成を研究している人なら一度はみたことがあると思う。業績には表れないところでもそんな貢献をしているなんて本当に偉大だ。この4月からそんな先生と一緒に研究できるのが楽しみでしょうがない。本題に戻ると、僕もあんなに立派なものは作れないけど、自分の知識を整理するという意味でも、自分のHPに書いてみようと思う。自分で解説をかいてみるのって絶対勉強になると思う。

2017年の抱負

もう2月になろうとしていますが,2017年の抱負を書きたいと思います。4月からは新しい環境になるので,早く適応することがすごく重要。

 

・去年の振り返り

去年は研究と観測計画をほぼすべて自分で考えて実行したが,結局思っていたようには研究は進まず(といってもそこまで悪くなったわけではない),観測結果と簡単なモデルを使った方法に切り替えた。ボスの「モデルも使ってみたら」の一言でモデルをいじり始めてみたのだが,これが面白かった。モデルを使い始めてから半年も立ってないが,データの見方も変わってきたのも良い変化だと思う。自分としては,大変な観測にモデルにと,よく頑張ったと思う。

 

・研究

修論を頑張る。修論の研究は自分としては面白いと思っているがいかんせん使っているモデルがヘボいのでどこまで説得力を持たせられるか不安。4月からの研究については次の指導教官とほとんど話してない(←やばい)ので,2月3月にとにかく連絡をしまくって詰めないと。

 

・論文

論文を2本出したい。1本は去年リジェクトされてしまった論文で,追加実験を加えて再投稿して受理をもらう。これはマスト。それと,今書いている修論の内容でもう一本書いて,夏までに投稿したい。4月からは別の大学の研究室に新しく入る予定なので,今年度中に第一稿までは仕上げたい。

 

・勉強

去年別のラボの人と話していて,自分には物理の素養がないことに気づいて,量子化学を勉強しようとしたけど学部レベルの数学もわからず全く理解できなかったことが悔しかった。まずは数学から始める。それと,光合成,生態系生態学,微気象学なんかも良い教科書があるようなので勉強したいなあ。これは'毎日'やります。

 

・プログラミング

今年1年でRでできることが増えたので,もっとRを使いこなしたい。で,欲張ってC言語でも基本的なことはできるようになりたい。

 

・睡眠

'毎日'7時間以上寝る。睡眠時間を削るようなことは絶対しない。

TeXで参考文献一覧を作る

人によってどういう形式で参考文献を載せるかは違うと思いますが,僕は

[1] Rubisco, T., Rubisce, K., 2016, title, Journal, page, doi

のように番号をふるのではなく,

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こんなふうにABC順に並べて,2行目以降はインデント(ぶら下げインデントというらしい)を付けたい。まずは文献情報の取り込みから。僕は文献管理にはMendeleyを使っているので,その操作から説明する。

まずMendeleyで,論文に載せたい文献を入れるためのフォルダを作る。そこに,論文のPDFファイルをドラッグ・アンド・ドロップすれば自動的に文献情報を読み取ってくれる。あるいはGoogle schlorかどこかから文献情報だけをダウンロードしてもよい。

 

次に,投稿先の雑誌の参考文献スタイルに調整する。[View] → [Citation Style] から自分の好きな雑誌のフォーマットが選べる。

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それが終わったら,書き出したい文献すべてを選択して[右クリック]→[Copy As]→[Formatted Citation]を押すと,クリップボードに文献情報が格納される。

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で,TeXの本文に貼り付け。

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このままだと改行もされずに文字がずら~っと並んでしまうので,改行&ぶら下げインデントをつけたい。\hangindentを使う。ただ,\hangindentは段落が終わると操作が終わってしまうので,いちいち文献ごとに段落を変えて\hangindentを使わないといけない。\noindentは,段落が変わったときに文頭にインデントを付けないためのコマンド。文献情報のあとで空白行を入れて段落を変え,\hangindent=30ptでぶら下げインデントを宣言。\noindentで文頭のインデントを削除。で次の文献情報。これを繰り返す。

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 うん,けっこう面倒くさいけどこれくらいならやってもいいと思えるくらいの作業量だと思う。

完成!絶対他にいい方法あると思うけど,修論はこのやり方でいく。

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学振DC1に採用されました

今週の月曜日(12/26)に学振面接試験の結果発表があった。結果は「採用」。面接の手応えとしてはあまり良くなかったが,結果を見ると面接に進んだ人のうち7割以上採用されていた。たぶん,準備を怠った人,面接で致命的なミスをした人,あるいはよっぽど運のなかった人以外は採用だったのだろうと思う。

面接の練習に付き合ってくださった先生やポスドク,面接用の資料をくれた人(ブログで知り合った),申請書を見せてもらった人全員にお礼のメールを書いた。何より,申請書と面接を丁寧に見てくれた指導教官には感謝しかない。これで奨学金という名前の借金をしなくてすむ。

これはボスから言われたことだが,「DCを取った人は安心してしまって伸び悩むことが多い。特にDC1は大した業績がないうちから評価されるから,実力もないまま『自分はできる』と勘違いしてしまう人がけっこういるから気をつけろ」らしい。確かに今回DC1の結果を伝えると「おめでとう。すごいすごい!」という返事をもらう。でも実際は,僕は申請書に来年から3年間の研究計画とその意義を書いただけで,現在それについての結果など何もないわけで。論文も先日リジェクトされたばかりだし。結局学振DCなんてとっていても研究能力と相関なんてないのだと思う。どこかのブログで「学振を取っているから優秀だとも思わないし,取っていないから優秀でないとも思わないし,取っているから優秀でないとも思わないし,取っていないから優秀だと思わない」と書かれたのを読んだことがあるが,その通りだと思う。ただ,学振は研究員に対し研究費もくれる。もらえる分は研究室のお財布事情に左右されないわけだから,ない人よりアドバンテージがあるのは確かである。

これを生かして,どんどん研究を良い方向にもっていって自分を成長させたい。