ルビスコくんの日記

博士学生(D2)の日記です。考えたこと、学んだことを書きます。

ハードワークかゆとりか

僕はここ半年以上、2つの価値観の間で揺れている。それは、研究をハードワークに進めるか、ゆとりをもってするかだ。頭のなかで揺れているだけで、実際に行動として選んでいるのはゆとりコース。

何を迷っているのかって、結局、結果を出すには、論文を手っ取り早く書くにはハードワークをしなければいけないのではないか?ということ。僕の周りの数少ない博士課程の学生はだいたい朝早くから夜遅くまで研究室に残ってがんばっているし、研究に関する本を読んでもハードワークを勧める物が多い。

そういうことは頭ではわかっているのだけれど、もう修士のときのように夜遅くまで研究をすることがなぜかできなくなってしまった。当時は夕食を学食で済ませて、夜までひと踏ん張りがあった。でも今は、18時になったら家に帰ってご飯をつくってたべたい。研究とは関係ない好きなことを勉強して、音楽を聞いたり、好きな漫才もみたい。

 僕は科学の才能なぞ自分のなかには微塵も感じないから、こういうゆとりスタイルで生活をしている限りアカデミックのポストを得ることはたぶんできないだろう。問題は自分がそれでいいのか、ということ。正直いうと、今のところそこまで研究を生涯の仕事にしたいとまでは思っていないのだけど(自分にはあんまり向いてないのでは、という気持ちが強くなってきている)、それでもこれからどう気持ちが変わるかなんてわからないのだ。なにより僕はまだ論文というものを受理されたことがない。将来どうなるかわからないけど、とにかく頑張って結果出して、論文をたくさん書いておくというのが将来の選択肢を増やすことにつながる、というのは論理としては理解できる。理解できるのだけどそこまでする気力が湧いてこない、というのが現実だ。

 ただ、ハードワークも苦痛に感じてしまうならば本当に意味がない、とも思う。ハードワークをして研究を嫌いになってしまっては本末転倒だ。ここまで書いてきてわかったのだけど、結局僕は「ハードワークをするほど研究が好きというわけではない」というのが本当のところのようだ。でも、研究という行為自体は(平気で寝食を忘れられる人には負けるけど)気に入っているし、こういうことに気づいたからといって博士課程をやめようとは思わない。むちゃして頑張ってしまうと、この気持ちもなくなってしまいそうで怖い。

まとまりのない文章を書いてきたけど、結局今のスタイルを変えるつもりはあまりない。それでいい。気楽にいこう。ただ、アカポスがなかったときのことはちゃんと考えて、なにか資格などをとっておくという戦略も必要かもしれない。

原爆と平和教育

僕が通っていた地元の小学校は、今から思い返すと平和教育に力を入れていたように思う。6年生のころは、総合教育は平和学習になることが多かったし、修学旅行では広島に行って原爆ドーム原爆資料館を見学した。この修学旅行ももちろん平和学習の一環で、修学旅行前にも広島で被爆されたかたを招いて講演をしていただいたり、学年全体で体育館でろうそくに火をともして平和の祈りの歌(原爆の歌)を歌ったり、視聴覚室で原爆に関するビデオを見たりしていた。

 こういうことはどこの小学校でも当たり前に行われている行事だと思っていたが最近どうもそうではないらしいことを知人と話していて知った。僕は小学生のころに広島にいけてよかったと思っている。なにより、あの原爆資料館でみた、原爆で皮膚を焼かれた人が水を求めてさまよい歩いている人形がある光景は一生忘れないだろう。あの、絶望するほど暗くて歌っているととても悲しい気持ちになる原爆の歌も、この年になってもまだ歌える。最近よく「若者が原爆の日終戦記念日も知らない」と大人が嘆いているのをニュースでよくみるが、それはそういう教育に力を入れていないだけのことで、小学生くらいのころにきちっと教育すれば不思議と忘れないものなのだ。プログラミングやら英語なんかよりも、ずっとずっと、大切なことだ。絶対にあの戦争のことは忘れてはいけないのだ。

ただ、この平和教育にも少し足りないところがあったと感じた。戦争の悲惨さ、残酷さ、反戦を訴えるだけで、なぜそのような戦争が起きなければならなかったのか、についてほとんど考えることがなかった。確かにあまり歴史を知らない小学生にそこまでするのは難しいかもしれない。それなら中高校生にそういう時間を割いてしっかりと考えさせるべきだと思う。あの原爆は軍部の呆れるほどの無能さとアメリカ軍の無慈悲さが招いた結果だということを僕が知ったのはついここ数年のことだ。自戒をこめていうが、もっとあの戦争の歴史のことを勉強するべきだと思う。小中高と、そういう一貫した平和学習のカリキュラムがあっていいように思う。なにより、これから戦争を体験した人がいなくなっていくのだから。

研究室(生物系)にslackを導入しようとした話

slackは職場/研究室単位でのチャットをするためのサービスで、研究室全体だけでなく話題ごとにチャットスペースを自由に作成できるのが特徴。となりの研究室で使っているとの噂を聞いて調べてみたらとても便利そうで、うちでもぜひ使ってみたいとおもった。

これまで僕の研究室ではメーリングリストを使って全体に連絡していたのだが、正直使いづらいと思っていた。連絡事項を見返したいときなど、「あの連絡は誰からのだったっけ?」から始まってごちゃごちゃした受信箱をスクロール&スクロールあるいはキーワードを思い出して検索しないといけないし、教員との一対一のメールもスクロール&スクロールである。こういう、研究室内でするやりとりをすべてslackでやってしまえば、メールの受信&送信その他(XXさま、に始まり自分の名前で締めくくる儀式)もっさりしたルーティンから解放される…!そう思ってゼミ後にラボのメンバーに提案したら、とりあえず使ってみましょうという話になった。

が、結局完全には移行することができなかった。理由はいくつかある。

◯教員が積極的に使うにいたらなかった

もうほとんどこれに尽きるかも笑。僕が提案して、じゃあslack試しましょうねっていっても普通に教員からメーリスで連絡回ってきたし、あれれ?という感じ、、。教授からはあとで「できればコミュニケーションツールは一本化したいんだよねー」といわれ、まあ研究室に限らず仕事で普通にメール使うし、わざわざ情報の置き場を増やすのが嫌だったんだろうなあ。研究室のトップが使わないなら、全体連絡の用途でslackが使われることはないでしょうね。相手が使うに至るまでちゃんと説得することができなかったのがよくなかった。

◯全員が見ているかわからない、と感じる

連絡手段として機能するには「全員が確認していること」が前提となるわけで、連絡をまわすときに「これ、ラボの全員がみてるんだろうか?」と疑問が出てくると心理的に抵抗を感じるのだと思う。そう、たとえ全員がちゃんとチェックしていたとしてもだ笑。

 

メールに完全に慣れてしまった&新しいものを使うのが面倒なほど忙しい人にslackを使わせるのはけっこう難しいけど、それでも僕はslackを導入してよかったと思う。理由はメンバー同士でのチャットもできるから。わざわざラボのメンバーにメールで送る必要がなくなった。でも、よかったことといえばこれくらい、かなあ。

これからslack導入したいという人はここに書いたようなことを想定して説得するのがいいと思います。

Google Sitesできれいに数式を表示させる

僕は自分のHPをGoogleSitesで作っているのだが、そこで数式をきれいに表示するにはMathJaxというのを使えばいいらしい。

kdy46fv.blog.shinobi.jp

HTMLの<head>と</head>の間に

<script type="text/x-mathjax-config">
  MathJax.Hub.Config({ tex2jax: { inlineMath: [['$','$'], ["\\(","\\)"]] } });
</script>
<script type="text/javascript"
  src="https://cdnjs.cloudflare.com/ajax/libs/mathjax/2.7.0/MathJax.js?config=TeX-AMS_CHTML">
</script>
<meta http-equiv="X-UA-Compatible" CONTENT="IE=EmulateIE7" />

を挿入すればいいらしい。Google SitesはHTMLを挿入することができるので、例えば、

<HEAD>
<script type="text/x-mathjax-config">
  MathJax.Hub.Config({ tex2jax: { inlineMath: [['$','$'], ["\\(","\\)"]] } });
</script>
<script type="text/javascript"
</script>
<meta http-equiv="X-UA-Compatible" CONTENT="IE=EmulateIE7" />
</HEAD>
<link rel="stylesheet" type="text/css" href="type2.css">
<BODY BACKGROUND="" BGCOLOR="#ECFFFC" TEXT="#000000" LINK="#0000ff" VLINK="#800080" ALINK="#ff0000">
$
\int_0^{2\pi} \int_0^a sin\theta d\theta d\phi=2\pi(1-cos\alpha)
$
</BODY>

 

を挿入すると

$ \int_0^2\pi \int_0^a sin\theta d\theta d\phi=2\pi(1-cos\alpha) $

 というようにかなりいい感じな数式が出力される。

これまで数式を表示させようと思ったらGoogleのサイトで数式を画像にするツールがあって、そのURLを貼っていたのだが、画像の解像度は粗いしそもそも画像だから文中に挿入することもできないし、、と思っていた。からこうできるとありがたい。

sapplyで引数を固定する

ずっと前から気になっていたことがありまして。それは、「引数が複数ある関数で、ある引数以外は固定してsapplyで回したい」ということでした。sapplyで回したいとはつまり、ベクトルなりを関数に渡してアウトプットとしてまたベクトルを得たい、ということです。結果から書きます。

#####

xx <- c(1:20)
hoge <- function(a, b, x){
out <- a + b*x
}
sapply(xx, a=3, b=2, FUN=hoge)

#####

ここではxを変数として、a, bは固定しています。

sapply()の中で’=’で指定してやればいいだけなんですね。全く気づかなかった。ちょーかんたん。

2017年の抱負

早いものでもう2017年も残り2週間で終わってしまいます。ここで、2017年の初めにブログで語った抱負(http://pam715.hatenablog.com/entry/2017/01/26/214046)がどれくらい達成されているかをチェックしたいと思います。

 

•研究

論文を2本書きたい、ということを書きましたが、結局1本もアクセプトまで行きませんでした。今年の8月にリジェクト(2回目)されて、再投稿のための追加のデータ解析などをしているうちに12月になってしまった。それとは別に、修論の方は7月ごろに解析の手が完全に止まってしまいさらにこの12月に、修論で行った観測方法の一部が根本的に正しくないことがわかってさあどうしようという段階です。投稿にも程遠い…。

 

•勉強

物理と植物生理を毎日勉強するという目標を立てましたが、まあ毎日はできませんでした。10月以降は週に3、4回は教科書を読みましたが、毎日ではないですね。

 

•プログラミング

R以外にもう一つやりたい、と1月に書きました。結局、投稿論文に追加する解析のためにFortranでコードを書く必要があり、そこそこFortranに慣れることができたのでそこそこ達成しているといっていいと思います。

 

うーん、全体的には5割もいっていない、3, 4割くらいでしょうか。

東京のよさ

僕は関西出身で、子供の頃はとにかく東京が嫌いでした。行ってみたこともほとんどないのに。たぶん、自分の話している関西弁とは違うイントネーションで話す人がとにかく異質に見えたんでしょう。テレビの中で誰かが標準語を話していても何も思わなかったんですけどね。あと、満員電車。子重の頃にテレビで満員電車の様子をみて、正直人の住むところではないなと思いました(首都圏に住んでる人、ごめんなさい‥)。

ですが最近、この考えがだんだん変わってきました。ここ2、3年で何度か東京に足を運ぶうちに、東京のよさに気づいたんです。

 

「とにかくいろんな人がいる」という空気

僕が思う東京という街の魅力は、あのごった返し感です。特に駅前はいつ行っても人がたくさんいます。「自分の目の前にいる人の他にも何百万もの人がこの東京には暮らしているんだ」と感じてしまうんです。知識として持っているからではなく、街全体からそういう雰囲気を感じます。もちろん仙台や札幌でも百万以上人口はありますが、東京(正確には東京圏)は桁が違います。

それでいて、目の前の一人一人が全く空気みたいに通り抜けていくかというと、僕の場合そうでもありません。ひとりひとりに、東京で暮らしている人生がある、ということも街を歩いていて感じさせてくれます。もしかしてこういうのって、東京を舞台にしている創作物を読んだり観たりしてきたせいなのかな、とも少し思います。

 

ずっと嫌いだったものが好きになるっていうのは一つ得をした気分になりますね。

 

作業はRのプロジェクトベースで管理しよう

Rのプロジェクト機能の話。

Rを使い続けてはや3年になりましたが、Rの作業を効率化できることに今更気づきました。それは、Rstudioのプロジェクト機能です。まず、RstudioではなくR無印を使っている人はすぐにRstudioに乗り換えたほうがいいです(本題とそれるので詳しくは書きませんが、一番はエディタがすごく優秀だからです)。

 

きっかけ

で、Rstudioって、僕が使っているといろいろな作業をしているうちにタブをいっぱい開きすぎてごちゃごちゃしていたんです。ある解析用のスクリプトを開いて、数時間別の作業をするときに別のスクリプトを開いて、その中でsource()で呼び出すためのRスクリプトを開いて…というようにどんどんタブが増えていってしまいます。こんな状態は非効率だと前から思っていたのですが、ようやくRプロジェクトを使えばいいのだと気づきました。

 

何がいいの?

Rのプロジェクト機能を使うと、プロジェクトごとにタブを管理できます。つまり、自分が設定した作業単位ごとにRstudioを分けられるということです。

例えばRスクリプトA, B, CをXというRプロジェクトの中で開いても、YというRプロジェクトではそれらのスクリプトではそれらの設定は反映されず、D, E, Fというスクリプトを広げられるわけです。そして、環境変数も分けることができます。例えばプロジェクトX(←笑)でパッケージdplyrを読み込んでも、プロジェクトYにはそれは反映されません。

 

プロジェクトの作りかた

Rstudioを開いて、File -> New Project を選択すると中央に新しい画面が出てくるので、New Directory -> Empty Project を選択します。するとプロジェクトフォルダの名前を入力する画面になるので、適当な名前をつけます。こうすると、新しいフォルダができて、そのフォルダの中には"XXX.Rproj"(XXXにはさっきつけた名前が入る)というファイルが格納されています。これでプロジェクトの作成は終了です。

エクスプローラーなどから.RprojファイルをクリックするとRstudioが起動します。また、Rstudioを開いている状態では、画面の一番右上に現在開いているRprojectが表示されています。そこをクリックすると別のプロジェクトが表示されるのでそれをクリックして別のプロジェクトを開くこともできます。

 

スクリプトファイルを管理しよう

冒頭にも書いた通り、プロジェクト機能は自分の作業単位ごとにRの環境を使い分けることを可能にします。プロジェクトに関係するスクリプトだけを開けばタブもかなり整理されます。

このプロジェクトフォルダをベースにデータもスクリプトも整理してしまいましょう。プロジェクトフォルダの中にデータフォルダを作って、それとは別にスクリプト用のフォルダも作れば、スクリプトの管理もかなり簡単になります。画像は一例です。

どうでしょうか。Rのプロジェクト機能、かなりおすすめです。やったことない人は是非やってみてください。

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『個人的な体験』

大江健三郎の『個人的な体験』を読みました。 

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)

 

 あらすじ

物語の主人公、「鳥(バード;あだ名)」は、妻の出産の知らせを聞いて病院に行くと、新生児の脳に異常があることがわかった。もともとバードはアフリカへの自由な旅行を夢見ており、我が子が産後に死なずに障害を持って育つことをなによりも恐れた。その事実から目を背けようと、義父からもらったウイスキーを持って火見子という女性を訪ね、酒と性に溺れた日々を送ってしまう。酒のせいで職も失い、ついには我が子の手術を断り退院させ、別の病院の医者に頼んでその病院で衰弱死させようとさえした。が、結局思いとどまって子供と一緒に生きていく決心をした、という物語です。

 

この小説の中で一つの問題となっているのが自己欺瞞です。

自己欺瞞とは、「自分に言い訳をして自分を納得させること、自分を正当化すること」です。バードは義父からウイスキーを受け取るときも、火見子の家にいくときも、子供が異常をもって生まれたことを言い訳に、自分はこんなにひどい目にあっているのだからこれくらい許されるはずだ、子供の死を願っても仕方ないはずだと、とにかく自己正当化のために現実から目を背けてしまいます。

自己欺瞞は、何もこの小説のような特殊な状況に置かれた人特有のものではありません。とても身近なものです。例えば、自分が受験に落ちたのは学校や塾の先生が悪いのだ、と考えてしまうのも自己欺瞞です。本当は、自分に実力がなかったことは頭のどこかではわかっている場合もありますが、その事実をありのままに受け入れることができないために人のせいにしてしまう。自分は悪くないんだ、責任は自分にはないんだ、これで面目が保てるんだ、という思考に陥ってしまうと、客観的な視点は失われます。

自己欺瞞の怖いところは、その状態になっていることに自分で気づくのが難しいところです。どうすればいち早くそれに気づくことができるか、明確な解決法はないと思います。あるとすれば、他人と話すことでしょうか。この小説では、バードは火見子、その女友達、菊比古という他者と会い、話をするうちに現実を受け入れるような心境に変わっていきました(作中では突然決心をしたように書かれていましたが、彼らの言葉がバードを少しずつ変えていったのだと思います)。

自分の話を聞いてくれる、自分のために意見をくれる人たちは大切にしなければいけませんね。

 

 

基礎科目

私たちは自然科学を研究する者として、基礎科目(物理・化学・生物と、それに必要な数学)を学習することをやめてはいけないと思います。なぜなら、自然科学にはこれまでの長い発見に発見を次いできた歴史があり、私たちはその歴史の流れの中にあるからです。まずは、その歴史のなかで積み重ねられてきたものを学ぶという謙虚な姿勢がなければいけないと思います。

そして、これまで積み重ねられてきたものは、私たちが数年で消化しきれてしまうほど少なくはありません。物理だけでも、力学から電磁気学、熱・統計力学量子力学など、それぞれ相当重い内容なはずです。これらを一から習得しようとすると、日々の研究をしながらの場合、(研究者が置かれている立場や状況によりますが)1日にそれらの学習に取れる時間は1時間もあればいいほうでしょう。そう考えると、大学生のような究極にひまな時期にゆっくり時間をかけて勉強しておくことがベストですね。特に物理のような科目は理解を積み重ねるのに時間がかかるので、研究で忙しくなってから始めるというのは全く得策とは言えません。一方で僕は勉強を始めたいと思った時が自分にとってベストなタイミングだとも自分に言い聞かせていますが。

学習を始めるにあたって自分がそれぞれの基礎科目についてどれくらい理解しているのかをわからなければなりません。私の場合、(ここまでこんなに偉そうなことを書いておいてすっごく恥ずかしいのですが、)高校の範囲については、物理は自信がありますが化学は忘れていることがいっぱいあると思います。生物はそもそも受験の関係で高1以来やってこなかったので生物基礎からやりなおす必要があります。ダメダメですね。。

「自分は大学院生なのだから大学の教科書から」という人がいると思いますが、そんな変なこだわりは捨てるべきだと思います。そういうプライドはなしで、本当に自分がどこまで説明できるほどの理解に達しているのかを一度考えてみたほうが近道になると思います。