ルビスコくんの日記

とある博士学生の日記です。

やっとたどり着いた

一年ほど前、論文を読んでいたら「フレネルの式」という数式が出てきた。光の反射を記述した数式だということは論文に書いてあったのだが、数式の中身を見てもまったくイメージが掴めない。それまでは、わからない式が出てきても論文中の説明を丁寧に読んで考えたりネットや本で調べればなんとかなっていたのだが、今回は違った。フレネルの式について調べると、光の電磁波としての性質からそのような形になり、そしてそれは電気と磁気に関する4つの基礎方程式から導かれるということらしい。僕は大学の電磁気学はやったことがなかったから、当然そんな方程式を見てもなにもわからなかった。まあ正直、どうしても理解しなければいけない論文でもなかったので、数式を鵜呑みにして進んでもよかったのだが、それはなんかちょっと気持ち悪い感じがしたし、ちゃんと勉強したほうがいいなあーと前々から思っていたので、この際大学レベルの電磁気学を一から勉強してみることにした。

 学部一年生が最初に使うレベルの教科書(岩波書店の物理入門コース)を買ってきて、読み始めてみた。初級レベルとはいえ大学の物理となるとそこそこ高度な数学を使うので途中何度かつまづいたし、研究の方が忙しくなり勉強が中断してそのつど内容を忘れてやり直したりした。で、そんなこんなでようやく先月マクスウェル方程式に、先週フレネルの式にたどりついた。

以下、やってみた感想。

  • 「やってみれば案外できるもんだなあ!」。初級の教科書を買ったから説明は丁寧で、特に数学(主にベクトル解析)は別の教科書を買って勉強しなくても教科書中の説明で十分理解できた。こういう、ぱっと見とか印象で自分ができないと先入観を持っていることってけっこう多くて、プログラミングとか、国際学会で発表するとか、やってみればそんなに大したことない。毎日少しずつ進めていけばできるもんだ。
  • 「大学の物理ってすげえ!」。僕は高校のころ(現役のとき物理学科を受験したくらいには)物理が好きだったのだけど、高校の物理とは扱っている現象が同じだけで、奥深さが全く違う。高校物理の電磁気って、この現象はこの式で表せて、別のこの現象はこの式で・・という感じでトピック的に学習していくのだけど、大学の電磁気はその式の数を最小限に絞り込んでいく。そしてその方程式から、高校では電磁気とは別の単元だった光・波動の式さえも導き出せてしまうのだ。最初はクーロンの法則の話をしていたのに、こんなところまで話が深まるんだなって思った。

もちろん、まだまだ初級の教科書を一通り終わらせただけなので、理解が不十分なところもたくさんある。これからもちゃんと勉強します。

間に合うのか?

半年前に査読から返ってきた論文の追加観測と、そのデータを含めた方法論の修正をしようとしているのだけれど、全くうまくいかない。この数ヶ月、試行錯誤してシミュレーションとかいろいろ頑張ったけど、どうにもならず。この論文は観測方法の提案が目的なのだが、うまくいかないとなれば、当然論文になんてならない。卒業には投稿論文の掲載受理が必要で、これの結果で卒業要件を満たすつもりでいたから、状況としてはかなりよくない。査読にまでこぎつけた研究がボツになってしまったとすれば、今やってる実験で結果をだして、昨年やった観測の解析をして、さらに今年もうひとつ実験なり観測なりをやって(現状何もきまってない)D論に載せられるクオリティにして、やっとこれでギリギリ3章分。正直厳しい。そんなに要領よくできる気がしない。ていうかなんでみんな普通に3年で学位がとれるんだよ?

そんな事情があるのでかなり急がないといけないのに、実験のほうは進行がかなりゆっくりになってしまってる。前にやった実験を多少条件を変えてもう一回するだけなのに、いろいろな問題がでてきて、ひとつひとつ対処しているうちにどんどん時間が過ぎていく。気づいたらここ一月くらいまともにデータが取れていない。

こんななので、普通に一年後にも学位が取れてない可能性が十分でてきた。ちょっと、さすがに身の振り方を考えないといけないなと思うのだけど、ここまでやってきたのに、とも思う。2年前の秋はこんなくだらない研究やめようと思っていたのに、今となっては学位をとらないと気持ち悪いと感じるようになってしまった。学位をとるために研究しているわけじゃないのだが、だってこんな状況で仕方ないじゃないか、と自分にいいかせているのがちょっと不甲斐ないね。

感情と理屈

この前、とあるYouTuberが面白い話をしていたのでメモ。

 読解力のない層は必ずいる。それはある世代に多いものかもしれないし、すべての世代に一定の割合で存在するのかもしれない。読解力がないと、まとまった理屈を理解できない。そのときの感情でしか物事を考えられない(ここでは「感情派」と呼ぶ)。感情派の彼らは「これがこうだからこうなるあるいはこうするべき、一方でこういう側面もある」みたいな論理の展開についていくことができない。一方でまとまった理屈を理解し、やりとりできる読解力のある層もある(ここでは「論理派」と呼ぶ)。

 10年ほど前まではインターネットも今ほどは発達してなかった。2ちゃんねるやツイッタを利用するのはマニアで、読解力のある層がほとんどだった。だが、PCとスマホを誰もが持つような時代になり、顔文字やスタンプなどができ誰もが利用しやすい環境が整えられると、読解力のない感情派の人々もそれらを利用するようになった。かつてはある程度分断されていた層の人達が同じネット空間に共存するようになったのだ。

 両者はお互いを理解できない。特に、政治・経済や倫理など、理屈っぽい話になると、両者の差が浮き彫りになる。ここで面白いのは、論理派の人からすると、その理解に関する壁、つまり感情派の人が理屈を理解できていないこと、あるいは理解していないまま何らかの主張をしていることは論理派の人からすると理解できるのだが、感情派の人からするとそれの何が誤りなのか理解できないのだ(そしてしばしば炎上する)。つまり論理派から見えている「理解の壁」が感情派の人たちには見えない。

 一方で、その逆もある。感情派の人たちはその時々の感情や感覚を大事にするし、それで行動が決まることが多い。論理派の人はそれが理解できない(これは僕の想像だけど、論理派の人もロボットではないからそういう瞬間は絶対にあるけど、その自分の感情を他人の行動を読むのに使えていないケースが多いのだろうと思う)。感情派の人はその時の感情で動くことが多いのだから、傍からみていくら非合理的な行動をしていても、当の本人の中では理屈がちゃんと通っており、合理的なのだ。雨が降っているならば傘を差すのが(少なくとも日本では)合理的だが、それでも傘を差さない人にはその人の中での理由があり、理屈がある。こういうことがわからない論理派の人からすると、感情派の人の言動は非合理的で不可解に映ってしまい、なにか壁があるように感じるのだろう。論理派の人はこれを「バカの壁」と呼んでしまう。正確には、彼らが他人の中の感情に鈍感なだけなのに。(個人名は出さないが、某実業家などはまさにこれに当てはまる。的確で的を得ている発言も多いけど、個人のなかの感情に全く興味がないのか、身も蓋もない主張になってしまっていることも多々ある。)

 この分断がかなりわかりやすい形で現れているのが、「意見の否定と人格の否定は違います」という主張である。いくら論理派の人がそう言ったって、自分が考えた意見を真っ向から否定されてると傷つくでしょ?っていうのは至極まっとうな感覚だと(感情派の僕は)思う。もちろん、いちいち傷ついていたら建設的な議論なんてできないし、割り切らなければいけないことはわかっている。だけどだからといって、「意見の否定と〜」をさも当たり前かのように他人に押し付けるのはちょっと横柄というか、優しくないなあと思うわけです。要するにそれを当然視しないでねってこと。

自分のなかの感情と論理、コントロールできるようになれば最強だよね。

僕の好きな人たち

今日は、僕がどんな人を好きか書いてみようと思います。次の項目にひとつでも当てはまっている人は、ほとんど無条件で好きです。 だから何って話ですが、まあそう言わずに最後までお付き合いください笑

生物系のLaTeXユーザー

生物系の分野は、論文で数式を書くことが少ないから、Word派が圧倒的多数(というかみんなそもそもLaTeXを知らない笑)です。LaTeXってWordに比べてインストールやらなんやらで敷居が高いうえに、Wordの方も便利な機能が多数搭載されているので、生物系でLaTeXを使うメリットってほとんどないんじゃないかと思えるほどです(無料なところくらい?)。そんな条件を乗り越えてでも論文を美しく仕上げたいという姿勢に共感を覚えます。ちなみに、この項目に当てはまる人は今まで僕の周りに一人もいません。

ノリのいいツッコミ役

ツッコミに必要不可欠なのは瞬発力。なので、僕にはツッコミの能力がまったくありません。ただボケるしかないわけで、ツッコミ役は僕にとってありがたい存在です。両方ボケで、かぶっていてもいいっちゃいいんですが、ツッコミがあったほうが会話の面白さは段違いです。あと、ノリが良いことはそれだけで価値があります。

B型の人

血液型性格診断ではほとんど褒められるところのないB型ですが、僕が好きになるのはB型の人が多いです。高校生のころ血液型性格診断がかなり流行っていて、A型とB型の相性は悪い、とテレビで言われていましたが「僕はB型の人ともうまくやっていけるA型なんだ!」と思っていました。血液型の性格診断なんて根拠ないじゃんって言う人いますけど、根拠なくても僕の直観と当たってるし、なにより面白いから僕はけっこう使います(すみません、この項目だけ十分条件ではありません)。

僕のことをいじれる人

僕って自分のこと「僕」って呼んじゃってるし、真面目そうな顔してるので、なかなかにいじりにくいよなーと思うんですが、それでも上からいじってやろうとしてくる勇気のある人のことは、それだけでめちゃくちゃ好感を持ちます。いじられキャラの人って、本人が何もしてなくても勝手に周りが面白いところ見出して笑いに変えてくれるじゃないですか。めちゃくちゃオイシイポジションです。なので、僕に苦労させずにいじってちゃんとした笑いに変えてくれるととても喜びます。あ、ちなみにこれ、B型の人に多いです笑

圧倒的に好きなことを持っている女

何でもいいですが、これが好きでたまらない!という人の話を聞くのが好きです。僕がそのレベルで好きなことがない人間なので、憧れかもしれません。あと、好きなものについてよどみなく語れちゃう人よりも、口下手で、ぽつぽつと、しかし確実に想いがこちらにしんと伝わってくるような語り口の人のほうが僕は好きです。なぜ女なのかというと、男はすぐに知識自慢を始めてしまうからです。
(つい昨日、富野喜幸氏のインタビューをたまたまYouTubeでみたのですが、1stガンダムの放送を見てアフレコスタジオにやってきたガンダムの一番最初のファンは全員女性で、男は一人もいなかったそうです。彼女らはかっこいいモビルスーツ同士の戦いよりもホワイトベース内の隊員たちの家族感に惹かれたようで、それは監督がガンダムという物語を作る上で最も重視していた人間関係そのものだったんですね。やっぱりこういう感性については女性のほうが鋭いのかもなあと思いました。)

楽器をやってる人

楽器を演奏するのって、かなり地道な努力が必要です。一日サボったら取り戻すのに三日かかる、なんて言われる世界です。特に、遊び盛りの小・中学生のころからずっと(多少の中断はあったとしても)、あの単調で心を折られそうになる楽器の練習を毎日継続できる忍耐力は本当に賞賛に値します。最後に音楽ついでに言っておくと、歌うことが好きな人も好感度高いです。

2019年と2020年

2020が始まりました。今年もよろしくおねがいします。

 昨年はどういう年だったかというと、少しずつ自分を許せるようになった年だと思います。過去の自分の失敗が許せず、今さらどうしようもない過去についてしつこく考えている自分も嫌でした。でも、2019の後半から考えているうちに何が悪かったのか、わかってきました。今までは自分が感情・欲求ベースで感じすぎていて、冷静に論理で考えようとする姿勢が欠けていたんだとわかりました。最後にそれを高校時代からの友人に話して、かなりすっきりしました。たぶん、その結論に達するまでに自分のなかで言葉にはできないいろいろな変化があったのだと思います。そして最終的には時間が解決してくれましたが、日々の忙しさの中に流していくのではなく、ちゃんと自分の中で消化できた感じがしています。それにともなって、自分を見る解像度が少し上がった気がします。具体的にいうと「過去の自分が許せない」という漠然とした感情ではなくて、「どういうところが許せなかったのか」を言葉にして説明する能力が以前よりも上がったということです。外から見たらわからないでしょうが、自分のなかでは着実に良くなっています。

 研究に関しては昨年も大した進展はありませんでした。今まで好き勝手(もちろん先生のいうことも聞きながらです)やってきたのですが何もものにならなかったので、自分の実力を試すのもいい加減にやめなければ行けないかなと思いました。できるだけ先生に頼らないで、と思いながらやってきましたが、別に頼っていいじゃんと最近思い始めました。最終的に課題解決を前進させられるなら誰がやったかとかどうでもよくないか?って。2020は結果を残すことを最優先にしていこうと思います。てか、もはや状況的にそうするしかないわけですが笑。今年(今年度)は、結果を残して学位をつかみ取りたいと思います。

 

2019年11月振り返り

11月が終わったので、それぞれについて評価していきます。

論文書く:まあまあできた。10月のはじめに論文が査読から返ってきて、10月11月にそのコメントに従って追加実験をしました。そしたら、思ってたのと違うデータが取れたので、今悩んでいる最中です。11月末日が締め切りでしたが編集者に言って〆切延長してもらいました。リバイズは終わっていないですが研究としては前に進んでいるのでまあまあできた、ということでいいでしょう。


論文読む:あまりできなかった。以前よりかは読むようになりました、程度にしか変わらなかったですね。


朝活:全くできなかった。これはできるだろと高をくくっていたのですが、一回もできなかった。

勉強をする:できた。半年くらい続けていたのを引き続きしただけ。だけどえらい。

2019年11月

  • 論文書く

この11月はちゃんと論文を書きます。計算ミスも最初に予想したほどひどいものではなかったので、さっさとデータを修正して、共著者に見てもらって、英文校閲に出して修正版を提出する。

  • 論文読む

正直、私は論文読むのが嫌いで、あんまり読んでいません。とはいえさすがに最近読んでなさすぎかなあと思うので、週に1報くらいは丁寧に読んでいくべきなのかなあと思います、というか、そう教授に言われました笑。

  • 朝活!

毎朝6時に起きて論文を書く。朝起きて研究室に行く前に自宅で1, 2時間書いてから研究室に行く。以前これで毎日過ごしていたのですが、いつの間にかもとに戻っていました。

  • (研究とは関係のない)勉強をする

これはここ半年以上続いていますが、必ず毎日しているかというとそうでもないんですよね。11月は平日は最低1時間、休日は最低3時間は趣味の勉強をします。

 

と、ブログで宣言してみました。来月にどれだけ継続・達成できたか見てみようと思います。

来年もお世話になりますっ

今いる研究室に、来年もお世話になることに決まりました。留年になります。理由は、博士研究の成果が出せていないことです。本当にこの2年半、本当に何一つうまくいきませんでした。唯一結果が出たと思っていた実験も、あとでよくよく解析してみるとおかしいところがいくつかあって、やり直しをすることに決めました。それが決まった時点でD4確定、というわけです。それに加えて、春頃に投稿した論文で最近計算ミスを見つけてしまいました。昔から詰めが甘いとさんざん言われてきた私の悪いところが、この年齢になっても全然直っていないんだなと痛感させられました(教授に報告しないといけないと思うと本当に憂鬱だなあ…)。さすがに自暴自棄になりそうですが、目の前にやるべきことがたくさん転がっているのでなんとか研究室には毎日行っているというのがここ最近の私の状態です。

過去の記事に書きましたが、私は学振DC1に採用されており他の博士の学生よりも恵まれた立場にあります。生活費も研究費も国から支給されて、何不自由ない環境に身をおいてきました。それなのに、結果として論文は3年目の10月時点で一本も出ていませんし、結果も大して出せていません。私よりも能力もやる気もあって結果も出している学生で学振を取れていない人も大勢いるのに、こんな自分が学振を取れてしまっていのってなんかおかしいよなあと思ってきました。そういうことに対して申し訳なさは感じなくはないですが、そうはいっても今更どうしようもないわけで、とにかく来年学位を取れるように頑張りたいと思います。

 

余談。この記事を書く前に、「そもそもDC1とって3年で博士取れなかった人っているんかなあ」と思って検索してみたのですが、全くヒットしませんでした。一人だけ「DC1のとり方」みたいなnoteを書いている方がそれっぽかったのですが明記はされていません。正直「いないわけねーじゃんw」って思いました。やっぱり、ネットで発信している皆さんって自分の評価を落とすような都合の悪いことは書かないんでしょうか?笑

遠い遠いはるか未来の話。

中学生のころ、僕は地学、とりわけ天文分野の授業が好きだった。自分にとってこんなに大きな地球が太陽系のなかの惑星の一つでしかなく、しかも太陽系は天の川銀河の端っこにあるありふれたもので、その天の川銀河も宇宙空間の中に何千億もある銀河の中のひとつにしか過ぎない。自分が空間的にも時間的にも宇宙の中では塵にもならないほどの存在であることを知って、自分ってなんて小さいのだろうと人並みに圧倒され、そのはてしなさを思っては胸を打たれていた。

 僕は私立の中高一貫校に通っていて、高校に上がるときには高校受験がなかった。受験が無い代わりに、中学3年生には「卒業論文」という課題が課せられた。自分で課題を決めて、担当教員と組んで実験をしたり調べ物をしたりしてまとまった文章を書くというものだった。僕は、天文関係のことにしたいと思って「恒星の一生」というテーマにした。そのテーマだと実際に実験や観測をすることはできないので(それでも担当教員は僕を天体観測につれていってくれた)本とインターネットで調べてまとめるだけのものだったが、自分にとって当時一番知りたかったテーマだった。

 自分が思ったとおり、恒星の一生を調べるのはとても楽しい作業だった。図書館に行くと、星雲や星座の写真が沢山載った本が本棚に並んでいた。中学生には少し難しい本を読むのに疲れたらそれらの写真を眺めていた。ある日図書館で恒星の本を読んでいると、興味深いことが書いてあった。「太陽は76億年後には肥大化し赤色巨星となり、その表面は地球の公転軌道まで達するため地球は太陽に飲み込まれ蒸発する」という内容だった(先日Wikipediaで確認したところ最近の研究では飲み込まれるまではいかないと予測されているのこと)。

 この、自分が大切に思っているものが文字通りすべて詰まった地球がなくなってしまうという、冷酷な予測を当時の僕は受け入れることができなかった。もちろん自分は100年はおろか70年、80年後にはほぼ確実にこの世にいない。1年後でさえ生きていないかもしれない。そんな僕が何十億年後の生命の運命を憂いても仕方ないのだけど、この生命が繁栄した素晴らしい星は永遠に続くと信じていたかった。生命が誕生したのは本当に奇跡で「プールの中に腕時計の部品を投げ込んで、水の流れだけで時計が組み立てられるのと同じくらいの確率」らしい。そんな奇跡の生命の星が、太陽の中で生じる核反応の変化という圧倒的な物理現象によって完全に死滅する。

 この世界のあらゆる事象は物理現象であると考えると、自分の生命なんて単に偶発性の賜物でしかなく、ただただ生きて、食べて、排泄して、死んでいくだけである。けれど、僕はそうは思いたくない。せっかく、人間という知的生命体としてこの世界に生命を与えられ、しかもその知的な側面を存分に享受できる時代・国・親のもとに生きている。本当に恵まれていると思う。今、来年の3月に学位を取れるか、正直微妙になってきたけど、諦めずに頑張ろうと思う。

QR決済を使わない理由

PayPayとかLINEPayとか、スマホQRコードを使った決済が普及しつつあるようですが、私は完全に出遅れてしまって使ったことがないです。あまり自分で使おうと思わないのですが、その理由をつらつら書いていこうと思います。

・調べるのめんどくさい

出ました、いきなり思考停止ワード!いや、実際めんどくさいですよ。多くの企業がスマホ決済サービスを提供していて、どれを使うのがいいのか全然わからないし、今更調べる気にもならない、という。どのスマホ決済サービスがどれくらい普及しているのかもわからない。ちょっと聞いたところによると時期によってポイント還元キャンペーンを行う企業が変わるから、そのときどきでどれで決済するか決めるみたいなことを言ってましたが、そこまでして小銭稼ぎしたくないと思いました。

・クレジットカードとSuicaで十分

今のところクレジットカードと電子マネー(Suicaあるいはnanaco)で満足しちゃってるんですよね。電子マネーは現金チャージ式なので残額を気にしないといけないので交通機関とコンビニ専用。それ以外の1000円を超えた買い物はクレカで払うっていうスタイルが染み付いてしまってます。このある程度完成されたルーティンを打ち破るだけの情報が入ってきません。還元率高いっていってもせいぜい小銭じゃん、って思っちゃいます。これはどっかの記事にも書いてありましたが日本は無理してスマホ決済にしなくてもSuicaが広く普及しちゃってるので、わざわざスマホ決済に乗り換えるメリットってそこまでないんじゃないかなあ。世界、特に中国はスマホ決済が発達してるから、官としてはそれに合わせてスマホ決済を普及させお金を落としてほしいのと、企業的には利用者の決済データがほしいのだろうけど、個人レベルでは日本がガラパゴス化しようが企業がデータ不足で困ろうがそんなんどうでもいいし。

・店員さんに話しかけたくない

店員さんとのやりとりは最小限に抑えたいので、いちいち「OOPayで」って言いたくないです。「袋要りません」「Suicaで」くらいしかこちらから発信したくない。あと、日本語でペイっていうとすごく間が抜けて聞こえる。ペイペイとか特にね。。SuicaとかIcocaは言いやすい。

…というネガティブでなんの下調べもしていない記事を書いてしまいました。

いやー、とにかくめんどくさい、変化したくないみたいなことをずっと書いてしまって、自分も年をとったんかなと思いました。でも決済方法を決めるのにそこまで時間使いたくないんだよなーというのが本音です。現金しか使わない高齢者も、電子マネーやクレカについてこんな態度なんでしょうかね。まあ、現金派と電子マネー/クレカ派の違いは電子マネー/クレカ派とスマホ決済派の違いよりも大きいと思いますが。